3日目は南側をまわります。
うるま市の方へ向かい、与勝半島に入ると3つめの世界遺産 勝連城跡です。
一番上まであがると、半島なのでぐるっと海が見えます。
これから行く、海中道路が見えます。天橋立みたい。
城を下りて、海中道路へ向かいます。
ずっと浅瀬なので、海に入って釣りをしている人がたくさんいました。
海中道路は、橋というよりも、干潟を埋め立てて造った道のようです。
渡った先は、平安座島と宮城島がつながってほとんど一つの島になっているところです。地図を見ると、埋め立てでつないでしまったみたいですね。
ここからは、伊計島と浜比嘉島に渡れますが、まずは伊計島へ向かいます。
埋め立て部は、このように石油貯蔵基地になっています。
今度は戻って浜比嘉島です。
渡った先の公園に、またしても実のなる木
本島へ戻って、西へ向かいます。4つめの世界遺産、中城城跡です。
石垣の角が丸くされています。技が細かいです。
過去に、ペリーがここを見学して、その技術に感心したそうです。
さらに南へ進みます。次の世界遺産、斎場御嶽へ向かう途中、そのすぐ手前で見事な橋がありました。
一回通り過ぎてしまいましたが、戻ってきて写真を撮っています。
ニライ橋・カナイ橋という2つひと組の橋です。
撮影ポイントの横は航空自衛隊の基地です。
丘の上にあっていくつかの小山が作られています。レーダー基地か何かかなと思いましたが、あとで調べてみると、対空ミサイル基地でした。ペトリオットとかが配備されているらしいです。それらしいのがちょっと写っていますね。
斎場御嶽へ着きました。
ここは、これまでの城跡と違い、琉球王国時代の聖地だったようです。
途中、小さな水たまりがありましたが、説明を見てびっくり。
沖縄戦時代の艦砲射撃でできた穴の水たまりだそうです。
次は、世界遺産から離れて沖縄戦の史跡です。
一つ目が、平和祈念公園。沖縄戦の犠牲者がまつられているところです。
こんな風に、犠牲者の出身地や所属団体別に慰霊塔がありました。
そして、中心部には犠牲者の名簿があります。
資料館の前には、こんなものが..
手前が高射砲でしょうか、奥は、おそらく駆逐艦搭載の魚雷ですね。
こちらの奥が飛行機搭載の魚雷だと思われます。
資料館の中は撮影禁止でした。
民間人を巻き込んだ戦争というものがどういうものか、少し実感できました。
ここからたいして離れていないところに、ひめゆりの塔があります。
沖縄戦に動員された女学生がたくさん死亡した洞窟に建てられた慰霊塔です。
こちらにも資料館があり、彼女らがどんないきさつで、どんな境遇で巻き込まれていったのかがわかります。
このあとは、糸満経由で那覇に戻ります。
5つめの世界遺産 識名園。琉球王国時代の別荘だそうです。
そして、最後の世界遺産、首里城へ向かいます。
途中、金城ダムというダムがありましたが、琉球風のつくりになっていました。
首里城に着きました。
たしかに壮大なのですが、もっと広いと思っていたので、ちょっと拍子抜けでした。
女子校の修学旅行も来ていました。
これで目をつけていた世界遺産を全部まわりました。(あと2,3小規模なものがあるようですが...)
あとは宿へ向かうだけです。
宿に近づいたR58で、なにか渋滞しているなと思ったら、突然全然進まなくなりました。なんだなんだと見ていると、前の車の隙間から、通行止めの柵が見えました。この連休、那覇で祭りがあるらしく、この時間からこのすぐ先が歩行者天国になるらしいです。
迂回しても迂回しても目的のところに行けず、大回りして何とかホテルサン沖縄に到着しました。
ビジネスホテルぽいつくりですが、大浴場もあってよかったです。
チェックインをすませ、夕食を食べに国際通り方面へ繰り出します。
食べたいものがあったので、沖縄料理の居酒屋へ行きました。
山猫屋
泡盛がたくさんの種類おいてあり、どれにするか迷ったので、お店オリジナルの古酒をもらいました。
島らっきょう
うみぶどう
スクガラス豆腐
これが食べたかったのです。スクガラスというのはアイゴという魚の稚魚を塩漬けにしたもので、それを島豆腐に載せて食べるものです。塩加減が良かったです。
パパイヤチャンブル
もずく天ぷら
タコライス
おなかがいっぱいになって、国際通りをぶらぶらします。
米軍らしき人たちが女性と話し込んでいたり、国際的でした。
ぬこさま発見
こんな体勢にさせられても、平気でそのままでいます。テレビの「ナニコレ珍百景」でも紹介されたという看板がありました。露店の客寄せ役らしいです。
あと1日ですが、最終日は昼には車を返さないといけないので、遠出はできません。予定していたところは回れたので、那覇の街を歩いて過ごすことにします。